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2004年9月20日(月)

9/20 月 晴れS 4〜8m/s
参加:金子、藤井、松田、三宅、宮田

レーザー最後の日かつスナイプ最初の日

9/23にレーザーを譲ることにした。三連休最後の9/20に長年付き合ったレーザー最後の乗艇日を設けた。また、スナイプの譲受も終わっているのでスナイプ最初の日でもある。倶楽部の練習に二艇使用するなど何年かぶりなものだから、スナイプ見たさも加わって、オヤジ達は喜び勇み5人も集まった。
世の中、敬老の日だというのに、中年オヤジ達は自分たちの日だと錯覚している。

15,6年も前、倶楽部創部当時はシードスポーツという2人乗りレーシングディンギーだった。由比ガ浜のつぶれたホテル跡が艇の置場所だった。みんな比較的若く、夏はもとより、ウェットスーツまで買い込んで冬も乗りに行った。しばらくしてブッチの後輩がレーザーから足を洗うというので、格安で譲り受けた。極めてきれいな状態だったレーザーが加わって倶楽部保有艇は二艇となった。その後、大仏や幽霊が、サーフィンには最高の波だった台風の日、シードスポーツを由比ガ浜でくるくると転がしたり、佐島に置場所を移した後、岩場に押し込んだりして、痛めつけるものだから、エアータンクの浸水が激しくなった。メンバーの減少と歩調を合わすように、シードスポーツは老化の一途をたどり、再生不能な状態となって、廃船にした。10年程も前のことである。以来、風倶楽部保有艇はレーザー一艇だった。

レーザーは軽い艇体重量にもかかわらず、なかなか頑丈だった。やはり大仏やジンが強風のときに派手に沈させたり、ブッチは沈起こしの練習だなどといいながら何度も無理やり引き倒して沈させたりしていたが、大した故障もなく現在まで生きながらえてきた。よく頑張ってくれた。一人乗りであることは、いつでも好きなときに練習することができる反面、同乗しにくいことから、上達するには自分自身でひたすら試行錯誤するしかない。乗艇機会に恵まれないメンバーたちの足を、江の島から遠ざけている理由のひとつでもある。マグロが一年でほとんど一人前に乗りこなせるようになったのは、去年1年間を通してずっと試行錯誤しながら、毎週のようにひとり練習したからに他ならない。

明確な形ではないにしても、二人乗りだったらと思う気持ちはみんな持っていたようで、マグロが二人乗りに入替えてはどうかと言い出したことに、みんな賛同した。ただし、賛同するだけで金のあてはない。そんなときにブッチの別の後輩がスナイプを譲るといってくれた。渡りに船とはまさにこのことだった。

そして、ついに今日2004年9月20日、レーザー最後の乗艇の日を迎えた。天候は晴れ、風は南5、6m/s。ときおり強くなるが絶好の天候。マグロが走らせるレーザーをスナイプに乗ったブッチ、大仏、ジイが写真に収める。スナイプのほうは昼食に江の島に戻る途中、レーススタート直後のウィンドサーフィン軍団の真ん中に突っ込むなどというハプニングもあったが、3人乗っても楽しめるということでみんな大いに盛り上がっていた。

昼食後徐々に風が強くなって、結局そのまま解装することにした。ジンはこの日スナイプに乗らずじまい。

もっと寄れー!の声に 江の島を背景にするレーザーの写真
これは貴重なスナップのひとつ
 
もう少しきっちりヒールを起こしていれば、
スナップとしてはよいできだったんだけど…。
ありがとうレーザー! 何気に座っているだけなのに
なんとなく、おかまチックなブッチ
 
二人乗りにはしゃぐジイ
マグロ金子 大仏宮田
 
ジイ藤井
結局乗らなかったジン三宅 解装後のスナップ
 
解装後のスナップその2

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